昨日は本光寺の紫陽花でしたが、本光寺の本殿も見応えがあってよかったです。
本光寺の歴史は大変古く、約500年前に松平忠定によって開かれたそう。
本光寺(ほんこうじ)は、愛知県額田郡幸田町にある曹洞宗の寺院。山号は瑞雲山(ずいうんさん)。アジサイ寺として知られる。
1523年(大永3年)に深溝松平家の初代当主松平忠定によって開基された深溝松平家の菩提寺で、希聲英音によって大洞山泉龍院の末寺として開山。転封により深溝松平家が島原藩に移ったのちも、歴代藩主の遺体は本光寺に運ばれて埋葬された[1]。本尊は釈迦如来像、脇士の地蔵菩薩像と千手観音像は運慶作と伝わる(実際の作者は不明)
境内にはこのように大変古い墓石もあります。松平忠定は室町時代の人らしく、この頃は墓石が現在主流の角張った状態に加工されていないのが当たり前だったようです。表面に文字が掘られているが、深くは掘られていない。
古いお寺なので、角張った墓石もあります。これは江戸時代に亡くなった方なのでしょう。wikiによると、位牌が中国から伝わったことで角柱に加工されるようになったとか。庶民には縁がない代物であり、お金持ちしか作ってもらえなかったようですね。昭和初期まで土葬が当たり前だったので、このあたりの墓石の下に遺体が埋まっていることになります。
話が激しく脱線しますが、昭和33年に徳川家の菩提寺である増上寺の改葬が行われたとき、徳川将軍家の墓が掘り起こされ、遺体の調査が行われました。土葬なので、遺体の状態が良かったものもあり、貴重な史料になっています。
ここでおもしろいのは、将軍の顔が江戸時代を経ていくに従って面長になっていくことです。これはなぜか?というと、「硬いものを食べなかったから」と「上流階級同士の結婚による形質変化」だと考えられます。つまり、将軍を含めた超上流階級の人々は、家来から提供される柔らかい食事しか口にしないまま一生を過ごしており、下顎が発達することが無いため、その特徴が子供に遺伝し、段々濃くなったということです。まさに超高級貴族。江戸時代になり争いがなくなったため、体を鍛えたりすることもなく、体格も貧弱に。12代将軍家慶に至っては身長も低く、多くの側室を抱えていたものの、ほぼ全員幼い頃に亡くなっています。
将来、超便利な世の中になったら、同じようなことになってしまうのでしょうか・・・
話を本光寺に戻して・・・
本光寺の中には松平家に伝わる品物が展示されていて、おもしろいです。過度に観光化されていないのもよし。松平家の位牌とか、目の前まで行けますし。
本光寺には、こんなものも。
願掛け亀。
亀の首のところに凹みがあって、そこにお金が入ると願いが叶うらしい。石に何か書いてあるけど小さくて読めん・・・自分もお金を投げてみましたが、凹みには入らず、その後ろに乗っかってしまいました(笑)願いは叶わず!!