福井の恐竜博物館に行ったあと、帰路へ。
とは言っても、550kmくらいあったので、さすがに疲れが溜まっていることもあり、一気に帰るのは厳しいと判断しました。
なので、長野の上田市へ。
目的は上田城です。
泊まったホテルは、東横イン上田駅前。
チェックインした時間が19時半くらいだったのですが、
もう東横インの駐車場は一杯で200mくらい離れたところに行かされました。
部屋も金沢香林坊に比べると狭い。
というかホテル全体が小さいんですよね。
たとえば、金沢香林坊だとエレベーターが3基くらいありましたが、上田は1基。
ロビーも狭い。
朝食も金沢香林坊の方が豪華だったなぁ。
翌日、上田城へ。
歩いて行ける距離です。
自分は無料の駐車場があることに気づいていなかったので、歩いて行きました。
混雑している時間でないなら、車で行くほうがよいでしょう。
自分の時は、12時くらいにはもう車が一杯で駐車場外まで並んでいました。
一杯なのは、市民会館側の駐車場で、上田城跡駐車場は空いていることが多いようです。
城跡駐車場は南側の駐車場です。
上田城跡公園には、真田神社というところもあります。
そこには真田井戸というものがありました。
その昔は、この井戸に抜け道があったらしい。
敵に城の周りを包囲されても、逃げられるし、
兵糧を運び入れることもできたそうです。
抜け道は城北に通じていたとか。
本丸は解体されてしまったので、跡地が残るのみです。
上田城跡公園には、櫓が3つあります。
北櫓、南櫓、西櫓。
この写真は西櫓で、移築もされず解体もされず、奇跡的に残っております。
正真正銘の遺構。
これがもう感動もんですよ。
復元でも移築でもないってのが凄い。
復元した天守閣とかより貴重かもわかりませんぜ。
北櫓と南櫓は6両で払い下げを受け、移築され、連結して遊郭になっていたとか。
まぁ雰囲気はあるけど、遊郭[E:heart04]て。
狭いじゃん[E:sign01](そこかい)
明治時代の記録。
解体される前の様子を残した貴重なもの。
これを元に、再現したそうです。
タイムスリップしてみたい[E:sign01]
丸山平八郎という人が、買い取り管理したそうです。
植樹や公園化などを行い、市民の憩いの場としたそうな。
いやぁ理解のある人だ。
素晴らしい。
遺構がこうやって残っているは過去の人がどのように維持管理運営されたかに依存しているのですよね。
残念なところは本当になにも残っていない。
その後、神社に払い下げをされたそうです。
払い下げられたところが神社でよかった[E:sign01]
ちゃんと守ってくれていたようです。
西櫓側から南側を見た風景。
城跡公園駐車場が見えます。
昔はどういう風景だったのでしょうね。
向こうに見える山は、きっと一緒なんだろうなぁ。
展示のあった、左利き用の火縄銃。
初めて見ました。
大変貴重。
というか、なぜわざわざ左利き用を?って思います。
右利き用の通常品を、左利きの人間が練習して使うようにするってのが普通のやり方だと思います。
よほどの腕の人がいたのか、それなりの立場のある人が使うものだったのか・・・
当時の高札。
それから、百姓一揆。
高札には、キリシタンを見つけたものに褒美を取らすとあります。
バテレンを見つけたら、銀500枚。
1711年のもの。
一揆は年貢(今でいう税金)が高いこと、役人が不正をしているなどを理由に発生。
今も昔も変わりませんねぇ・・・
上田城跡公園のお堀跡。
昔、真田傍陽線という鉄道が走っていたそうです。
その公園前駅というところ跡が、この写真です。
そういわれると駅っぽいですよね?
お堀が鉄道に使われたってのがまたおもしろいですよね。
さて、以上で上田城は終了。