前回:次回:-13.2015年GW 離島+αの旅 喜多方 坂内食堂
喜多方ラーメンで満腹になったあとは、新潟へ。2時間ほど走って到着。安定のルートインに宿泊です。
翌日の6:45くらいにホテルを出て、新潟港へ向かいます。佐渡汽船のジェットフォイルで佐渡へ向かうためです。狙いは7:55発のジェットフォイルでしたが・・・なんと!満席!
まさか・・・工エエェェ(´д`)ェェエエ工工
というわけで、次の8:45のジェットフォイルにしたのでした。元々の計画だと、
行き 新潟港 7:55発 佐渡 9:00着
帰り 佐渡 14:25発 新潟港 15:30着
の予定でしたが、
行き 新潟港 8:45発 佐渡 9:50着
帰り 佐渡 16:00発 新潟港 17:05着
になってしまいました。これにより、福井に着く時間がたらふく遅れたのでありました・・・
車は新潟港に駐車してきましたので、佐渡では路線バスにて移動。これがかなりの時間がかかるのです。あと、接続がイマイチで、時間がフルに使い切れない。佐渡の両津港から路線バスで相川支所まで移動。その後、佐渡の金山に向かうコースです。相川支所を拠点に周遊バス(金山ぐるりん)があります。
両津港から相川支所まで1時間(10:00発の路線バス)。相川支所で接続待ちを10分くらい。佐渡金山に着いたのが11:30ごろ。
佐渡金山に到着して、早速入坑。許された時間は約90分。相川支所を13:53に出る路線バスで佐渡の両津港に戻る必要があるためですが、周遊バス(金山ぐるりん)との接続がイマイチで、金山を13時には出なければならないのです・・・お昼ご飯は当然あきらめております。
相川支所から昼食を食べに出ようかとも考えましたが、徒歩だとリスキーな程度の空き時間(30分~40分くらい)なのです。目的地まで歩いて、注文、食べて、バス停まで戻るのに、ファストフードでないところだとかなりきわどい。歩いて食べに行く場合は、1時間程度はほしいところ。バス停の直近に食べ物屋があれば別でしたが、そんなわけではないので・・・
ということで、佐渡には自分の車で来て、かつ泊まるべきだったと反省しております。バスだと時間に余裕がある人でないと無駄な時間が増えますね。時間を金で買うという感覚で、カーフェリーを使うべき。よくよく考えれば、小豆島に行ったときは自分の車で行き、泊まっていたのでした。そういう感覚で行くべきでした。
と、前置きが長くなりました。史跡佐渡金山は2つコースがありますが、まずは道遊坑コースから。案内する人がいて、「道遊坑コースから入ってください」と指示されます。歴史的に古い方が道遊坑。慶長6年に開山とのことですが、「慶長」っていつだ?と思い、調べると、江戸時代の初期も初期。慶長3年に豊臣秀吉が病死し、慶長8年に江戸幕府が起きています。今から400年ほど前。
タイムスリップしてみたい!上相川という江戸時代に鉱山で栄え、明治に衰退して、いくつか遺跡が残る古道もあるようで、そこも行ってみたくなりました。
入るとすぐ寒くなります。おお、さすが鉱山。雰囲気ありますねー。ダンジョンみたいです。通年で10℃程度らしく、かなり寒いです。外が30℃くらいだったことを考えると、凄い気温差ですね。それを利用した保管庫がありました。
酒の貯蔵所ですね。
“酒の貯蔵所”
岩石は熱が伝わりにくいことから、坑道内の温度は年間を通じて11℃程度を示します。この酒の貯蔵所は、一部外気が進入しますがそれでも年間を通じて8℃~13℃の温度を示します。この温度は酒やワインの長期熟成に適しており、日本酒や焼酎が貯蔵されており、数年間貯蔵された後売りに出されます。※売店にて販売致しております。
実際まだ使われているようです。
先に進むと、採掘跡が。
「道遊脈」採掘跡とのこと。
奥に見られるトロッコを連結した積込機(ローダー)の先が道遊脈の採掘跡で平成元年の採掘中止の時期までこの位置より鉱石が積み出されていました。道遊脈は、佐渡鉱山で最も厚い鉱脈で鉱脈の幅は最大で35メートルに達します。しかし金銀は全体に散らばっており金銀の濃集した黒い帯が少なかったことから、多量の鉱石を粉にすることが難しかった江戸時代にあまり採掘されず、機械を使って多量の鉱石を粉にすることが可能になった明治時代以降に本格的な採掘が行われました。この採掘跡は、地表見られる大きな空洞に繋がっており、この位置より上で採掘された鉱石は、この坑道まで落とされ外へ積み出されていました。左手中央の天盤には、道遊脈を採掘するための堀上がり坑道を見ることができます。
と、他の跡や昔の写真を見つつ・・・昔の写真がよかったですね。まだ閉山していないときの昔の採掘の様子が映し出されていて大変おもしろいです。
外に出ます。外から見える景色もいいですねー。「間ノ山搗鉱場跡」も見えます。
「道遊の割戸」も見えます。
ということで、出口へ。売店を経由するというのがニクイですね。
次は宗太夫坑コース。主に明治以降ですね。
写真はたらふく撮りましたが、あまり載せるのもアレなんで・・・
印象に残ったのは、この水をひたすら汲み出す工程。明治ともなると、海面下深くまで掘り進めないと金銀が出てこなくなってきました。そこまで掘り進めると海面下ですから、地下水が湧いてくるわけで、その水を汲み出していかないと作業が進められないのです。
まず、この筒の下に水が溜まっている箱(水請込船 みずうけこみふね)があります。そこに筒を置きます。筒の内部はスクリュー状になっていて、回すと水が上にあがってくる仕組み。人間の手で回せる長さは限りがあるので、筒を何個も作って、連続して繋げ、ひたすら回すのです。それで水を上に上げていくという作業。その筒を「水上輪(すいじょうりん)」と呼んだそうです。そしてそれを回す人を「樋引人足(といびきにんそく)」と呼ぶそうな。
”水上輪”
江戸前期の承応2年(1653年)に佐渡金山にもたらされた坑内排水(揚水)ポンプ。紀元一世紀の頃、ギリシャの哲学者・物理学者のアルキメデスが考案したアルキメデスポンプが祖形とされている。これを佐渡金山に伝えたのは京都(大阪とも言う)にいた水学宗甫(すいがくそうほ)。
こりゃハンパねぇ重労働だ・・・現代のブラックも真っ青かも。暗い鉱山の中で、ひたすら重いポンプを回し続けるのです。高賃金だったらしいので、農家の次男とか三男とか、後を継げない人が来たとか。ひたすら水が溜まるから交代制で長時間やっていたと推測されます。
というような重労働の光景が他にもいくつかあります。こりゃ機械化しないと人も集まらないですな。
と、かなり長くなったので切りますが、これは見応えがありますね!おもしろいなー。歴史があるのはやっぱりおもしろい。
と、船に乗るため戻ります!結局福井には22時過ぎに着きました。最後の客でした・・・(笑)
次回:-15.旭川 薄皮たい焼き 銀のあん クロワッサンたい焼き
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こんにちは はじめまして!
かずりんこと申します。突然すみません。
現在「リトリップ」という観光情報をまとめて
紹介するお仕事をいたしております。
佐渡金山のとっても素敵なお写真があって、利用させて頂きました。
私も実は写真が大好きで、たいしたカメラは持っておりませんが、
小さな旅行と写真撮影が趣味となっています。
ご利用させて頂いた写真を掲載したページをはっておきます。
またちょくちょくこちらにも遊びに来たいと思います。
掲載後のご連絡ですみませんでした。
>かずりんこ様
紹介記事がありませんが・・・
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