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19.2017年夏季の旅 四国別格二十霊場巡拝 -第十八番 海岸寺-
海岸寺から1時間ほど。高松自動車道を使えばすぐです。とにかくこの日はよい天気。お昼になり、かなり暑くなってきました。香西寺は住宅街にあり、地域に密着した感じです。
広めの敷地ですが、あるのは本堂、大師堂、毘沙門像を奉る堂の3つしかないです。昔はもっと色々建っていたのでしょうね。
こちらが大師堂。
毘沙門像を奉る堂。当然ながら開いてはいません。
本堂。
しっかし人がいません。八十八カ所ならもっと人がいるんでしょうけど・・・
-第十九番 香西寺-
~重文の毘沙門像が鎮座するお寺~
〒761-8015
香川県高松市香西西町211【御詠歌】南無大悲 延命地蔵 大菩薩 みちびきたまへ この世のちの世
【御真言】オン カカカ ビサンマエイ ソワカ本 尊 延命地蔵菩薩
開 山 行基菩薩
宗 派 真言宗大覚寺派略縁起
奈良時代に僧行基により開創され、初め勝賀山のふもとにあり勝賀寺といった。平安初期に僧空海(弘法大師)が再建し現地に移した。嵯峨天皇の勅願寺に選ばれて、寺禄貫を賜り、朱雀天皇のとき、談議所(僧徒学問所)に選定された。鎌倉時代、この地の豪族香西左近将監資村(香西氏の祖)が、幕命をうけ堂塔を再建し香西寺と改称す。その後細川頼之が当寺を本津(香西東町)に移し、十一代香西元資は寺号を地福寺と改称す。天正年間戦火にあい、生駒親正が国主となり、再建ののち高福寺と名を変えた。満治元年、またも失火のため旧寺域(現在の地)へかえることになった。寛文九年、藩主松平頼重公が新伽藍を建立落慶し、別格本山・香西寺となる。その後当時の七堂伽藍はほとんど失火で焼失し、現在の建造物はその一部である。寺宝の毘沙門天立像(木造・檜一本造り、平安時代初期101センチ)は昭和十六年十一月、重要文化財に指定され、藤原時代弘仁佛としては、全国的にも逸品である。
御影や御朱印、念珠玉をいただいて終了。
次回が四国別格二十霊場最後のお寺、大瀧寺です。
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21.2017年夏季の旅 四国別格二十霊場巡拝 -第二十番 大瀧寺-