瀬戸内海の島々 佐柳島編Ⅵ 長崎墓地

瀬戸内海の島々 佐柳島編Ⅰ 上陸まで

瀬戸内海の島々 佐柳島編Ⅱ 本浦周辺
瀬戸内海の島々 佐柳島編Ⅲ 本浦墓地周辺、他
瀬戸内海の島々 佐柳島編Ⅳ 小中学校跡他
瀬戸内海の島々 佐柳島編Ⅴ 長崎周辺
の続きです。

長崎の北側には墓地があります。S_dsc02928
この猫が案内してくれました。
岸壁を北に歩けばすぐにいけます。

この写真、右側と左側で墓の形が違うと思いませんか?
これは「両墓制」という珍しい墓の形式だからです。
香川県の指定有形民俗文化財に指定されております。

説明の看板。S_dsc02932
「両墓制」とは・・・

人が亡くなったとき、遺体を埋葬する墓(埋め墓)と、
石塔を建てて霊魂を祀る墓(詣り墓)の二つの墓を作る風習を両墓制と読んでいる。

とのこと。
「埋め墓」が一般には珍しい形式ですね。
土葬の形式は、火葬が一般化する明治、大正くらいまでは、普通に行われていました。
天皇、皇后は今でも土葬。
(今上天皇は火葬にすることを表明していますが)
佐柳島が両墓制になったのは、推定するに、
・土葬することができる土地があった(人がそれほど増えなかった)
※現在では火葬に切り替わっていると思います。
・火葬場を作らなかった(↑の理由で作る必要もなかった)
ではないかと思います。

そして佐柳島の「埋め墓」には「デコ」と呼ばれる木で作った人形を立てるそうです。S_dsc02941

葬式の時に埋め墓に身内の者が作った「デコ(桐材)」とよばれる人形を棒の先につけて立てる風習がある。
この風習は全国的にも大変珍しい。

とのこと。
次の写真がそうです。
この方は埋め墓に杖が供えてあります。

ただ、問題はこれ。S_dsc02945
これは無縁仏になってしまった墓が集められている箇所。
人が減って、管理されなくなった墓が多くなってきたことに危機感を抱いた方々が、それをまとめる活動をされたようですね。
明治の文字も見えますので、相当古いようです。
陸軍なんて文字も見えます。
これからも増えていくのでしょうね。
なかなか解決が難しい問題ですね。
移転するというのも、墓は土着のものですし・・・
島にあったほうがよいでしょうから。

と、長崎の墓地は以上です。
続いては、特にまとめられなかった諸々を。