昨日も今日もめちゃ忙しく動き回り・・・
帰ってきたらボーっとしてます。
それでいつの間にかウトウトと・・・
酒も進みますよねぇ。
UGさんのお婆さんの体の状態がよくないとのこと。
回復するのを祈っております。
私は小学校6年のときに同じようなことを経験しました。
突然だったために大変驚いたことを覚えています。
いきなり病院から電話がかかってきたらしく、私と母親は急遽病院へ。
確かその時間は家に二人しかいなかったんじゃなかったかな。
もう危篤状態でしたね。
それで夜になってから亡くなって・・・
そのときに父親と兄はきたんだっけかな。
亡くなると体洗って、着替えさせられて、化粧されて、綿詰められて・・・
私はタオルで冷たい腕を拭いた記憶があります。
めちゃくちゃ細くて冷たくて・・・幼心に「死」を実感しました。
母親と二人で泣きじゃくってましたよ。
今でもタマゴボーロを見ると婆ちゃんの顔思い出します。
遊びに行ったときによく出してくれたなぁって。
やさしい婆ちゃんでした。
小さい頃って結構残酷なことを平気でできたりするじゃないですか。
たとえばトンボの羽を千切ったり、バッタの足をもいだり。
そんなことしたらその虫は生きていけないのに。
遊び感覚ですよね。
子猫もねずみで遊ぶと聞きますが、小さい頃ってそういう時期なのかもしれませんね。
「死」ってやつがナニモノなのか、なんなのかわからない。
私もそうだったから平気でできたんだと思います。
小学6年に前述したように「死」を実感してから変わったような気がします。
ただ「死」を迎えた瞬間だけを見たんじゃないんです。
生きていた時、死を迎えそうな時、死を迎えた時、死を迎えた後、骨になる時・・・
この流れを全部見て触ってきたのが大きかったのかもしれません。
暖かかったな、喋れたな。
チューブとか付けられて喋れない状態だな。
動かなくなったな、冷たくなったな。
泣いたな、きれいに拭いたな。
焼かれた後、骨を拾ったな。
テレビとかで見る「死」は切り取られた断片であるし、向こうの話なんですよね。
学校でやる道徳もそうかもしれません。
そういうことを子供の頃に経験するのはきっと大事なんだと思います。
見たり聞いたりでは実感できないものですね。
「死」に直面したからこそ「生」を大事にするんだと思います。
必ず誰にでもあることだもんね。
コメントの投稿
さっき婆ちゃんが息を引き取りました。母から電話で聞いたせいか実感が沸かないです。幼い頃にひい爺ちゃんの葬式に出ましたが、そのときは死をちゃんと理解することができませんでした。私はこれから死ってものに向き合っていくことになります。うちの婆ちゃんを気に掛けてくださって、ありがとうございました(^-^)
>UG様そうですか・・・ご冥福をお祈りいたします。きっと天国で見守ってくださることでしょう。UGさんも「生」を大事になさってください。
以前、放って置くと死んでしまう病を得たのですが、手術をして、社会復帰出来た時に、働ける事が、こんなに嬉しいものなのかと感心したことを思い出しました ^^今でも、医師、看護士さん、そして、見守ってくれた方々には、とても、感謝しています。命、とても大切ですね。UGさんのお婆様のご冥福をお祈りいたします。
>asc様それは恐ろしい病気ですね。回復されてほんとによかったですね、確かに健康の大切さって一回大きな病気にかからないとわからないと聞きます。私もそうかもしれません。それでは遅い場合もあるのですが・・・体、大切にしなきゃいけませんね・・・