じいちゃんが亡くなりました

桜が散り始めているというのに、宇都宮は雪が降っています。
ウコン茶です。

明日早朝からバス、新幹線、電車、飛行機と乗り継ぎ、旭川に帰ります。
これに乗り遅れると、通夜に間に合いません。

結局、じいちゃんと話したのは年末年始が最後になってしまいました。
入院したと以前書きましたが、4月入る直前にリハビリセンターから病棟に移りました。
というのも、かなり厳しい状態だったからです。
肺炎がもう末期で、酸素吸入を常時MAXにしていなくては、呼吸もままならない。
動いてしまうと呼吸ができなくなるから、ベットにくくりつけられていたらしく、じいちゃんはそれが苦痛だったそうです。
定期的に看護師が痰の吸入をし、それで眠れなかったりとか。
そんな状態だったので、親が毎日毎日病院に行っていました。
医者から危険だと言われた日には、泊り込みだったみたいです。
自分もいつ帰ることになるかわからないから、
旭川に帰るためのリミット時間(最終の飛行機、電車に乗れる時間)をメモって財布に入れていました。
それが2週間くらい前。
親に確認しながらいましたが、特に病状に変化は無く、気持ち的に覚悟が無くなっていきました。
それがまずかった・・・

じいちゃんが亡くなったのを知ったのは、仕事が終わって着替える直前でした。
仕事中にもメールが5通くらい来ていたのはわかっていました。
ブルブル携帯が震えていて、どうせメルマガだろうとその時は思っていて、普通に仕事をしていました。
18時前に仕事が終わり、着替えるときに「そういえばメールやたら来てたなぁ」と思いだし、
携帯を取り出し、開いてメールBOXを見ると、親からのメールだけ。
まさか・・・と、ゾワッとした感覚に襲われ、メールを見ると・・・
15時40分に亡くなったと・・・
なんで気付かなかったかなぁ・・・
電話くれりゃよかったのにとか思いつつ・・・
以前の覚悟をしていたときは、メールが来たら可能なときは席を離れて、メールを確認していました。
そのときはメルマガだったりとかしてね。
それが続いていたので、油断してしまったかな。

まぁわかったとしても、その時間では当日に帰ることはできないんですけどね・・・
海を挟むと厳しいですわ。
本州内なら、インプで突っ走れば今日着くことができるというのに。

祖父の遺体は実家に帰っているとのことなので、明日帰れば顔は見られそうです。
いろいろ思い出すのはその時でしょう。
年末年始に写真を撮っておいて正解だったなって思っています。

親が喪主だから、明日も明後日もワヤかなぁ。
こういうことって怒涛のように過ぎ去っていくんですよね。
大変だから。

明日も早いので寝るとしますか・・・

コメントの投稿

  1. ライパチ より:

    何れは必ず来ると解ってる別れだけど、いざ来たら戸惑ってしまうよね
    自分は祖父は二人とももういないけど、片方の祖父の最後は病院のベッドでひっそりと旅立ったよ
    死に目に会えなかったし、ずっと寝たきりだったから褥瘡とかも酷かった
    でも、その時は全く実感なくて「人が死ぬって本当不思議だなぁ」ってぼんやり考えてた
    そしてしばらくして、祖父の家で一人で暮らす祖母を見て猛烈に悲しくなった
    「あー、もういないんだな」って。
    御冥福をお祈りします。

  2. ウコン茶 より:

    >ライパチ
    遠地にいるってことで、死に目には会えないと覚悟はしていたものの、嫌な気分だね。
    実際、もう危ないって言われてきたから、来るときがきたって感じでさ、
    突然事故とかで亡くなったとかよりかはいいかなとは思うわ。
    俺なんてばあちゃんボケてきてるから、じいちゃんが死んだことわかってるのか不安だったよ。
    わかってないかもしれん。
    じいちゃんなにしてんのって聞かれるかもしれんなぁ。