思想

今でもイラクなどでは米軍に対して攻撃が行われている。
ニュースでは「イスラム過激派」とかいう単語がよく登場している。
イスラム教の信者は世界中に何億という単位でいるという。
私の大学でもヴェールをかけた女性を見ることはある。
だからといって何か特別な目で見るということはないが。

こういった宗教的なものは親子共々入信している場合が多い。
子供に言い聞かせていたり、日常的に宗教的なことをしていれば
子供にとってそれが当たり前となるのもうなづける話だ。
卵から生まれた小鳥が最初に見たものを親と思い込むのと同じように
一種の刷り込みともいえるだろう。
いい意味でも、悪い意味でもね。

私は定義するなら「無宗教」ってことになるのかな。
全く興味がないし、入信することに意義を感じない。
せいぜい、お決まりの苦しいときの神頼みか、
死んだ祖父母のお墓に祈ったりするぐらいしかない。
そもそも、死んだ家族に祈ること自体宗教的とは思ったことはない。
これば宗教的なことなんだろうか?
流派とか、なんだら宗とかいろいろあるけど、
祈るという基本的な概念はみんな同じなわけで。
あんまり、いわゆる「宗教」というものとは違うような気がする。
別に祖父母を崇拝してるわけでもないしね。

なんだか、宗教っていうのは「神がいてそれを崇拝しているもの」というイメージがある。
キリストとか、アッラーとか。
それの像に対して祈り、神父とか、啓示を受けたとかいう人が教えを説いて、
それを忠実に守ったりしている。
客観的に見れば「ほんとかよ?」という感じである。
完璧な人間なんているはずないんだけど。
どんな人間でもやましいことの一つや二つはある。
ましてや、組織のトップともなれば余計そうだろう。

一つ思うのは、何かを成しえたときや乗り越えたとき、
大変なことにあって助かったときなどに、神とか崇拝しているもののおかげにするのは
悲しくないかい?ということだ。
自分の力、周りの人の力、そういったもので乗り越えてきたはずなのに。
自分を褒めたり、周りに感謝したりしたほうがずっと幸せなはずなのに。

そして、そういったものを逃げ道にするなということ。
宗教は精神安定剤ではないはず。
頼れるのは自分の力と、実際に見える人や物なんだから。

とか、若造がほざいてみた。
こんなこと言ってると海外ではバカにされるらしい。
それを自信を持って言い返せるほどの心の持ち主になりたいものだ。
説教臭いな・・・私もおっさん化が進んでいるということか・・・
酒でも飲もう・・・

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  1. Rフェチ より:

    うん、その通り。(笑)