6日目。
この日は少し真面目です。
明治時代、当時の東旭川、永山、当麻に入植した屯田兵。
この記念館は東旭川に入植した屯田兵の様子や生活などを感じることができます。
私の先祖も屯田兵なのですが・・・
この入地者数の表にある、「永山 徳島 113」のうちの一つみたいです。
この記念館は東旭川に入植した人が中心なため、ご先祖様の記述は一切なし(笑)
当時は、色々あったのか、東旭川村と永山村っていまいち仲がよくなかったのかも?
村を統合するときも、揉めたらしいし。
まぁとは言っても、当時の暮らしぶりは東旭川でも永山でも当麻でもたいした変わらないはずでございます。
当時の日課。
サマータイムもびっくりの4時起床。
18時引き揚げなのは、春から夏までの間だけですね。
ただ、4月の頭は雪も残り、18時だともうすでに暗かったと推測されます。
冬は、農作業もできませんので就業時間は2時間短い。
それでも、暖房器具も発達しておらず、除雪等の設備も厳しい中では、生活が厳しかったものと思います。
今とのつながりを感じさせる一枚。
猫の寝床。
今も似たような猫ちぐらという商品がありますよね。
倉にしまっている穀物がねずみに荒らされる被害は深刻だったようです。
美瑛にあった昔の祖父の家も、倉が別にあってそこにはねずみがいましたよ。
日清戦争に従軍するときに撮影したもの。
屯田兵は、開拓者であり、兵士でもありました。
上記の就業と言っても、兵士としての訓練時間もあります。
AM中は確かそうだったような・・・
家族は、農作業をしていたみたいです。
この記念館でおもしろいのは、当時開拓したところに、その子孫がそのまま住んでいるか記述があるところです。
確認時期が昭和だから、今もそのまま住んでいるかはわかりませんが、
その人の家には、もっと名残みたいなものがあるのかもしれませんね。
コメントの投稿
まだまだ不便だった時代に、あの大地に乗り込んで
今の土台を作ったんだから、驚きですよね~。
今の世代もそれぐらいの気概をもってがんばらなくてはと、思うときもあります。
>Shin様
そうなんですよね。
移動手段は馬ですもん。
家もすきまだらけなので、布団が凍ったらしいですよ。
今じゃ考えられません・・・