遺体の妻、末期がんだった…容疑の夫が看病

遺体の妻、末期がんだった…容疑の夫が看病

このニュースを見て、とても切なくなりました。
どうにかできなかったのかなと。
こんな結末を迎える前に周りに相談するとか、なんとか病院行くとか・・・

多分、それを言えるのは第三者だからなのでしょうね。
当事者だと、そこまで思考が回らないのかもしれない。
余裕が無いということが、思考停止に陥らせてしまう。
自分がどうしたらよいのか、助けたいのに、何ができるのかがわからない。
ここまで判断力を失わせるものなのか。

出会いがあって、たくさんの時間を共に過ごして、楽しいことも沢山あったと思います。
そして、愛する妻がガンになり、自分にはどうすることもできない。
妻を治すことは自らにはできないという無力感に苛まれていたのでしょうか。
ただ衰弱し、死にゆく妻を見つめるだけなんて・・・無力感しか浮かんでこないのかもしれません。
このままじゃ死んでしまうと思いながら何もできず、妻は死んでしまったけれど、それでも何もできないなんて・・・

「ずっと一緒にいたかった」

これがこの夫の正直な気持ちだとしたら、自分はここまで人を愛することができるだろうかと問いたくなりますね。
これだけ愛されるならば、本望と思えるのかな。
葬式のときにどれだけの人が来るかが、その人の価値だとか言う人がいたけれど、こういう形もあってもいいのかもしれない。
凄く閉じた空間だけど、広すぎて先が見えない空間より、互いの距離が常に感じ取れることが心地よいのかもしれない。
死んでもなお、その距離を維持したかったのかな。

冷静に考えるならば、こういうときは誰かに相談するしかないですよね。
第三者に話をして、自分がどうすべきなのかを一緒になって考えてもらう。
その人が全力で救ってくれるかはわかりませんが、
少なくとも当事者同士では解決方向に向かわない場合もあるわけで、それを救ってくれる可能性は十分あるんじゃないかと思います。
この場合、解決って何なのって言うと、非常に難しいところではありますが・・・
救いってのが何なのか、考えてしまいます。
それをうまい具合に用意したのが宗教か・・・

コメントの投稿

  1. Rフェチ より:

    久々にコメント。
    ちょっとキツイニュースだね。
    夫が容疑者と呼ばれてしまうのが日本の法律の悲しい所だ。
    俺だったらどいうい行動するのかなとか、色々考えさせられるよ。
    >それをうまい具合に用意したのが宗教か・・・
    確かにいざという時に相談出来る人間がいるというのは助かるわな~

  2. ウコン茶 より:

    >Rフェチ
    犯罪は犯罪だからね。
    死体遺棄の要件に当てはまるか当てはまらないかの判断しかない。
    情状を酌量するのは司法であって、警察の役目ではないから、容疑者の呼称は正しいよ。
    宗教は逃げ場所だったり正当化することのできる手段かなぁって感じかな。
    すがることが当たり前になってもいけないと思うけどね。