北海道帰省と自分のルーツ

こんばんは、ウコン茶です。
長い連休も最終日になってしまいました。
明日からまただるい毎日が始まると思うとテンションガタ落ちです。

今回は北海道帰省のこと。
四国への旅はまた別途。
今回の帰省は写真が全然ありません。
特にめぼしいところには行っていないためです。
やはり北海道には自分の車で行くに限りますね。
でも他色々と収穫があったのでよかったと思います。

12/28に帰省しました。
当日は部屋の掃除を終わらせ、福島空港から新千歳空港へ。
新千歳空港の天候不順により、結構遅れてしまいました。
40分くらいだったかな。
冬の新千歳は日常茶飯事なので・・・

年末は先日も書いた通り、祖父母の一時帰宅の準備で終了。
祖父は現在入院中。
肺がねぇ・・・
祖母は介護施設に入所中。
認知症は昨年よりよくなり、徒歩も前よりできるようになりました。

昨年の帰省の様子はコチラ
北海道帰省【壱】 【弐】
(doblog時代の記事なので、若干のズレや改行の乱れがあります。ご容赦ください。)

今回は前回と違い、祖父も連れてこなければならなかったので大変でした。
祖母は一泊しましたしね。
前日から祖父母の部屋の整理と準備。
食事の準備などなど。
親戚も来るので父と母と私で全部準備しました。
まぁほとんど母と私なんですけどね。
祖父なんかは頑固でねー。
病院のほうが迷惑かからないから帰宅しないとか言い出して(笑)
自分が来たら泣いていたくせに(祖母も)。
説得しましたよー。
親父が説得しても聞きませんが、自分だと効果あります。
自分は孫の中で一番最年少でしてね。
しかも一番帰ってこない(遠地)。
他はみな道内在住者なんですよ。
祖父は結局帰宅しました。
当日は祖父母も楽しそうにしていたし、一緒の写真も撮れたし、よかったよかった。
飯も病院食より味気のあるもの食べられたでしょう。

次はGWかなぁ・・・

他は母方の親戚回り。
かなり久々です。
全然してなかったのでマズイなぁと思っておりまして、自分のいる間に回りました。
そのときに撮った写真。Scimg2764
雪原って感じですよね。
そして一本のまっすぐな道。
しかし寒かったなぁ・・・

ラーメンや寿司を食べ。
太る肥える帰省。
うまいものばかり食べてしまい、戻ってからはあまりいいものが食べられない。
しばらくは納豆ご飯かヨーグルトのみで暮らして、ハングリーな環境にせねばなりません。

そして今回収穫だったのは、自分のルーツが判明したことです。
自分の苗字は北海道では珍しい苗字ですが、四国や中国地方だと結構メジャーな苗字なのです。
昔、東京のバイト先で一緒だったおばさんに、「○○って四国だと割と多いよ」と言われたことがあります。
その方は愛媛出身の方でした。
そのときは「へー」って感じでしたが・・・
自分の曽祖父の父(つまり、ひいひいじいちゃん)が四国の徳島県出身だということがわかったのです。
親父も知らなくて、祖父も次男だから全然知らなかったらしく。
昨年祖父の兄が亡くなったのをきっかけに、知る機会があったみたいです。
ひいひいじいちゃんは、おそらく明治の生まれ。
戦前(1940年ごろ)に亡くなっているあたり、おそらくそうでしょう。

日本の歴史では、「屯田兵」として北海道に入植を始めたのは明治の時代。
屯田兵とは何かというと、当時未開であった北海道の開拓と、ロシアから北海道を守るために組織された軍です。
一応、組織された兵士ですので軍と表記します。
ひいひいじいちゃんはおそらく、兵士ではなく「開拓使」により公募された移住計画に参加し、北海道に来たのでしょう。
正確には上川郡東川村(現東川町)に移住。
時期的にも合います(1890年ごろでしょう)。
農家ですしね。
でも出身が東北じゃないのが不思議だなぁ。
わざわざ四国からってのが・・・
多くは東北のほうから来たって話なのですがね・・・
母は宮城に多い苗字です。
こちらもおそらく、宮城からの移住なのでしょう。

と思い、いろいろ調べてみました(ネットですが)。
どうやら四国からも結構来てるんですね!!
「わがまちのルーツ」←すばらしいサイトです!!
                               農業専門誌に連載されていたものを残していらっしゃる。
              非常に貴重であります(リンクはトップではありません)。
なるほどなぁ・・・

ひいひいじいちゃんの名前は丈五郎といいます。
家系図を見ると初代って書いてある。
名前からして四国のどこかの家の五男だったと推測すると・・・

・五男じゃ自分の土地は持てなかった(昔ですから、長男が権限を持っているでしょう)
・北海道に行けば政府が斡旋した土地をもらえるから、地主になれる(大チャンス)

その思いではるばる来たのかも・・・
しかし四国という暖かいところから来て、極寒だったろうに・・・
しかも未開だし、道もない(政府から与えられる土地は未開のもの)。
木やら笹やらでえらいこっちゃでしょう。
明治の時代は、旭川で-41℃という現在の最低気温の日本記録をたたき出した頃です。
それに耐えながら切り開いていった。
四国に戻ってしまった人も多かったという中、ひいひいじいちゃんは残った。
凄い!!
ほんとに昔の人は凄いです。
このハングリー精神と、行動力。
今、あらゆるもので溢れているこの時代にはなかなか考えられないことです。
北海道で地主になり、初代として家を築いていこうと考えたのでしょうか。

こうやって考えると面白いですよね!
ひいひいじいちゃんがなぜ移住してきたのかが知りたいですね。
今度なんとかして調べたい・・・

祖母の介護施設の部屋にあったぬいぐるみ。Dvc00009
プーさん?なにそれ?
虎だよ!虎!