皆さんはどう考えますか?

[脱力看護計画]
華さんのblogです。

米地裁、延命装置再装着の訴えを棄却

こういったニュースが出るために論議を呼ぶ安楽死もとい、尊厳死について。
華さんの記事の通り日本にもガイドラインはありますが・・・これ効くんでしょうか?
客観的に肉体的苦痛がある場合ってどれぐらいなんでしょうね。
例えば、植物状態で自分で物が食べられないから
体に穴を開けてチューブで栄養を送るという形。
これは耐え難い苦痛であるか否か。
自分が植物状態ではない状態でこれをされたら正直かなりの苦痛。
一生これでいないと死ぬと言われたら・・・「耐えるしかない」。
選択肢がこれしかないですからね。
自分で判断できる状態で「苦痛だから死なせてください」っていうのは無理だから。

安楽死はあくまでも周りの人の判断で行われるものです。
アメリカでは以前に「こういう風になったら死なせてほしい」という証言があり、
認められたと華さんの記事にもありますね。
これが日本ではおそらく通用しないと思うのですよ。
キチンと書面等で残している場合は違うかもしれませんが。
そんな人がどれだけいるか。
人間明日死ぬかもしれないと思いながら生活しているわけではありません。
ドナーカード等に記載しておくという手もありますが、
これはカードに記載したことを優先するという条件がなければ意味をなさないと考えます。
「カードに書く行為」を重いものにしなければいけないと思うんです。
書くときに「これは自分の一生を決める」ぐらいの覚悟で書くということです。

・治る可能性がほんのちょっとあっても死を選ぶ
・家族あるいは恋人に判断を委ねる
・治る可能性が少しでもあれば生かしてもらう
・財政状況による
・医師に委ねる

選択肢はこれぐらいでしょうか。
あ、「冷凍保存してもらい確実に治せる技術が世に出るまで待つ」
というブラックジャックみたいな話もありかもしれませんね。

やはり安楽死を認めるためには本人の意思の明確化が必要不可欠ですね。
それとも絶対認めないか・・・
難しい問題です。

コメントの投稿

  1. えろガッパ より:

    確かに難しい問題ですね。日頃から、自分の死について考えている人なんて、ほとんどいないでしょうし。私なら、「治らないんだったら、家族のためにも(経済的な負担etc)、死を選ぶ」かな?

  2. えろガッパ より:

    連続コメント失礼します。正直言うと、その時が来ないと分からない(決められない)です。今の私には・・・その時が来てからでは、遅いのかもしれませんけど。

  3. ウコン茶 より:

    >えろガッパ様難しいですよね。先日、テレビで事故によって植物状態になった方の特集を見ました。家族は仕事を辞めて看護に専念する方もいました。それも一つの選択肢ですよね。本人がそれを望んでいたかはわかりませんが。植物状態の方はある歌を聴いて反応を示したそうです。そういった希望が家族を動かしているのでしょう。ですが・・・私は家族の方に自分の人生を生きてほしいと感じました。家族の方々がこれで幸せなんだろうかと考えてしまうのです。家族の方々の涙には悔しさが溢れていました。それも非常に大きいのでしょうね。

  4. えろガッパ より:

    家族の方々には、他人には計り知れない複雑な想いがあるんでしょうね。やっぱり、普段からそうなった場合のことを話し合っておく必要があるのかもしれません。

  5. ウコン茶 より:

    >えろガッパ様そういう風に話し合う機会ってほとんどないですよね。そのときになって変わったりもするでしょうし。話し合って自分の言うことをわかってもらうことは難しいのかもしれません。突然起きて、突然決断を迫られ・・・とても辛いでしょうね・・・